INTERVIEW

現代美術家 大竹伸朗さん インタビュー

ブライアン・イーノからの影響を度々公言している現代美術家の大竹伸朗さん。「自分が考えるアートとアンビエントはとても似ている」と語る、その真意とは?

アンビエントといえば大竹さんもよく聴かれているブライアン・イーノが代表的ですが、出会いはいつ頃だったんでしょう?

1975年にイーノがオブスキュア・レコードを立ち上げたじゃない? あのレーベルのレコードを輸入盤で集め出したんだよね。全部ジャケットが良かったしね。ギャビン・ブライアーズの「タイタニック号の沈没」とイーノの「ディスクリート・ミュージック」をよく聞いてた。一番聞いていたのは、マイケル・ナイマンの「ディケイ・ミュージック」かもしれない。

その後、1978年にアンビエント・レコードが立ち上がり、イーノの「アンビエント1/ミュージック・フォー・エアポーツ」がリリースされます。

イーノの「ビフォア・アンド・アフター・サイエンス」が77年で、イーノがプロデュースした「ノー・ニューヨーク」が78年で、イーノが参加したトーキング・ヘッズの「リメイン・ライト」が80年。俺の中でアンビエントっていうと、そのあたりの作品が代表的なんだよね。82年に「アンビエント4/オン・ランド」が出て、ロックの果てっていう感じして、俺の中では究極だと思った。イーノのアンビエントっていうのは残響音の印象があるんだよね。

大竹さんの中での「アンビエントとは何か?」というものは、そうやってさまざまな作品を聴くうちに積み重なっていったものなんですか?

単にアンビエントというジャンルの言葉では括れないっていうか。例えば俺の中では、経年劣化したボロボロの古い壁と、ピカピカに磨いたアメ車のボンネットが同等なわけ。一見共通項はないんだけど、自分の記憶の中で双方が結びついていると、様相がころころと変わっていく。アンビエントもそういう感じなんだよ。

イーノが交通事故に遭い入院している時にSnatchのジュディ・ナイロンがお見舞いに来て持ってきたレコードを、彼女が帰った後にかけようとしたら、ヴォリュームが小さ過ぎたんだけど、そのままベッドで聞いてたっていうエピソードがあるじゃない? 要するに、音量が異常に小さいと人は能動的に音を聞こうとする。そうなると、例えばノイズが鳴っててもスローなピアノが鳴ってても、等価になっちゃう気がするんだよね。

そういえば、30年ぐらい前、新宿西口にあった海賊盤専門に売っていたビートルズの「ホワイトアルバム」のレコーディング時の音が何から何まで入っている10枚組のCDセットを聞いたんだけど、小さい音で聞こえてくる会話が心地よくて、「これはアンビエントだ」と思った。

あと、宇和島の不釣り合いに大きな閑散としたアーケード商店街で、昼間に「ホワイトアルバム」が結構な音量で流れてたの。それもアンビエント感があったんだよ。さらに言うと、真冬の阿寒湖温泉に行った時に、道沿いに並ぶ街灯上部の安っぽいスピーカーからいきなりクラフトワークの曲が鳴り始めて、空間が一瞬静寂な雰囲気に変わったことがあったんだけど、それもアンビエント感があった。そうやって、自分が感じているムードと天候と音が一瞬交差するとアンビエント空間が現れるんだよね。

大竹さんにとってアンビエントっていうのは耳だけの体験じゃなく、空間も含めた五感の体験なんですね。

俺にとっては完全にそうだね。音楽のジャンルではないね。

言葉、たとえば俳句だってアンビエントを感じさせますよね。

松尾芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水の音」なんて、まさにアンビエントだよね。場所の中にアンビエントがあるから、ああいう句が生まれる。言葉から音が聞こえることもあるよね。今日、新宿御苑にスケッチをしに行ったら、風のざわつきや鳥の鳴き声が聞こえる良い木漏れ日があったんだよ。地面に雑草が生えてて、ちょっとデコボコしてて、所々根っこが露出していて、土の下には虫がいる。そういう風景っていうのは俺にとってアンビエントなんだよね。

アンビエントはある意味どこにでもあるということでしょうか。

そうじゃないかな。人それぞれの感覚だから明確には定義できないけれど。俺にとってアンビエントは記憶と密接なものなんだろうね。その場面に出くわすと急に封印されてた記憶がじわっと吹き出るというか。ノスタルジーというよりは、記憶がゆっくりと風景と絡み合う。だから、記憶と表裏一体ではないものにはアンビエントは感じない。

大竹さんは作品を作る時、とりわけコラージュ作品だと紙の層、色の層を重ねていくじゃないですか。それは記憶の層ともつながっていて、アンビエント・ミュージックを作る音楽家にも通じるのかなと思いました。

絵を「描いている」感覚はあまりなくて、確かに作曲という意識の方が強いのかもしれないね。いろんなものを組み合わせては除いていくっていうか。自分が瞬間的に興奮するものっていうのは痕跡なんだよね。そこに何かしらの物理的な力が働いて、何かしらの事故が起きている感覚があって、記憶の集積みたいなもの、そこに偶然生じた質感や気配のようなものを意識的に作ってみたいといった抑え難い欲求がある。

匂いと時間は似てると思ったんだよね。匂いって目には見えないからどんな匂いか人に伝え辛いじゃない? 時間もそれに近くて、自分の時間体験は人とは共有できない。両方とも個人の形容詞に委ねられる。街中で一瞬嗅いだ匂いでものすごく切なくなる時があるじゃない? 例えば、子供の頃に嗅いだ匂いを思い出したりして、昔の記憶が立ち上がる。イーノの「ネロリ」のアルバムタイトルはセビリア・オレンジの花から取れるオイルの香りから取っているらしいけど、他の作品にもイーノ自身の何かしらの「匂い」が込められてるんじゃないのかな。昔のイーノのインタビューを読むと、「風景の真ん中に置いてあるものを主役にするのではなく、背景に興味がある」って話してた。その発言からも、匂いの存在を感じさせるよね。

大竹さんと京都というと、80年代半ばに度々京都を訪れてますよね。

そうだね。京都の古い寺の風景と駐車場のがらんとしたスペースは俺の中では等価で、双方にアンビエントを感じる。東京に住んでると、京都の風景は馴染みがなくてリアリティを感じないんだけど、海外から来る人にとって京都はまた俺とは面白味を感じるポイントが違うのが面白いよね。イーノの「テイキング・タイガー・マウンテン」に入ってる「Burning Airlines Give You So Much More」の歌詞にも《When you reach Kyoto, send a postcard if you can》っていうフレーズがあるけれど、欧米人がイメージするアジアのイメージに昔から興味があったんだよね。高校生の時に「M★A★S★H」っていう1950年代の朝鮮戦争を舞台にしたブラックコメディの映画を観たんだけど、野戦病院のスピーカーからいきなり頓珍漢な日本語の曲が流れるんだよ。スーツを着たアメリカ人が土足のまま畳に上がっちゃうような世界。そういう世界観の中で描かれる日本のイメージにすごく興奮してたんだよね。

その後、80年代入ってすぐに公開された「ブレードランナー」にはかなり衝撃を受けたよね。俺は79年に初めて香港に行って、東京よりも全然国際都市だと思ったし、その混沌とした感じに衝撃を受けた経験があった。それで、「ブレードランナー」の雨が降り続いてる未来の香港みたいな風景が、自分の中にある谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」みたいなものに一気に入り込んできた感覚があった。自分にとっては「ブレードランナー」は「陰翳礼讃」の世界。欧米人のアジアに対するイメージの勘違いから新しい世界が生まれていった感じっていうかさ。

たしかに「陰翳礼讃」はアンビエントとも繋がってきますよね。

茶室って微妙な凹凸があるじゃない。柱と壁の境目の垂直な段差がかなり多い。あれは日の光によって見え方が大きく違ってくる。俺が「記憶」シリーズを作り出したきっかけは机の上に置いてあった封筒だった。封筒に折り込まれた紙一枚の厚さに影ができていて、その影を意識したことで、「封筒で絵が作れるんじゃないか」と思った。茶室っていうのは、その感覚を強調したバージョンっていうか、茶室の段差は巧みなんだよね。部屋の光の差し込み方によって段差の見え方が変わってくる。茶室も俺の中ではアンビエントなんだよね。

アンビエントっていうのは、「陰翳」と似て、捕まえようとしたら逃げる感覚があるのかもしれないですね。

そうだね。俺のアートにとっては路上が先生みたいなところがあるじゃない? 路上には「これ、すごいな」って感じる一角が絶対にある。駅の上の配線盤、工事中の風景、駅の看板を張り替えたり塗り替えたりしている途中の状態とか、「このまま作品にできる」って思うものがそこかしこに転がってる。だけど、それを誰か他の人が見つけた時にはもうそこにアートはないんだよ。誰かが気付いた途端にアートは逃げる。俺としてはアートって定義できないと思ってる。なぜかというと、時間ってずっと変化し続けていて、絶対に止まらないじゃない? 最先端のアートを語ることはできないんだよね。アンビエントもそうなんじゃないかな。アンビエントは流動体みたいに止まらずにずっと動いてる。「これはアンビエントだ」っていう意識で思考が始まっちゃうと、どんどん気配の質が変わっていってしまう。誰かが見つけるまではそこにとどまってるんだけど、見つけた途端、変化し出す。いきなり立ち上がって消えちゃうっていうかさ。だから絶対に古びない。

確かに、アンビエントを感じるものって、耳や目を向けただけで変わる繊細な世界ですよね。

そうなんだろうね。表層的なものだけでは絶対に判断できない。そこに張り付いている個人の記憶っていうものがあって、それはなかなか人には伝え辛いんだよね。

ブライアン・イーノのアンビエント・ミュージックも受け取り方を強制しないですよね。100人いれば100通りの聴き方があって、人によって想起する記憶も違う。大竹さんの作品も作り手の大竹さん独自の視点で制作されているんだけれど、作品を見る人に押し付けるわけではないですよね。

そうだね。作品の質感は個人の記憶だからね。

だからアンビエント・ミュージックを体験するというのはすごくパーソナルなことなんでしょうね。

たしかに、みんなで共有するものじゃないんだろうね。「アンビエント1」を大勢で聴きたくはないよね(笑)。「アンビエント1」の背景にはイーノが関わったいろんなものが張り付いていて、それを聴くことによって、聞き手にとっての個人的なものが現れていく。おそらくロックとかだと大勢で聴くことによって共通のものが立ち上がるんだろうけど、アンビエントは個人個人の受け取り方が非常に分かれる。

自分にとってはマルセル・デュシャンもそうなんだよね。「20世紀のコンセプチュアルアートの元祖はデュシャンです」と定義付けされちゃってるけれど、例えばデュシャンの「大ガラス」の背景には自分が10代の頃に書いたペインティングとかが重なってるところに、ぐっとくる。コンセプトひとつで作ったものじゃない。受け取った人があの背景に何を感じ取るかが重要なわけ。その構造は自分の中では「アンビエント1」と似てるよね。

大竹 伸朗
(おおたけ しんろう)

画家。1955年東京生まれ。1979年より作品発表を開始。回顧展「大竹伸朗 全景 1955-2006」(2006年)、「大竹伸朗展」(2022〜23年、東京国立近代美術館・愛媛県美術館・富山県美術館を巡回)をはじめ、個展多数。国内外の企画展や国際芸術祭にも数多く参加。「既にそこにあるもの」「ナニカトナニカ」など著書多数。ノイズ系音楽ユニット「JUKE/19.」のメンバーとして多くのアルバムをリリース。2014年芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

聞き手=矢野優(「新潮」編集長)
文=小松香里