INTERVIEW

レコーディング・エンジニア ZAKさん
インタビュー

「AMBIENT KYOYO」で展示される複数のアーティストによる視聴覚作品のミックスを手掛けるのがフィッシュマンズの作品等で知られる日本を代表するサウンドエンジニア、ZAKさんだ。本展覧会の展望やアンビエントとの関わりについて訊いた

「AMBIENT KYOTO」は昨年、ブライアン・イーノにフォーカスする形で始まりました。まず、ZAKさんとブライアン・イーノの出会いについて教えてください。

1989年に奈良の天川村にある天河大辨財天社というところで能・狂言と共にブライアン・イーノが奉納演奏を行った際に呼ばれたんですよね。イーノと10日間ぐらい一緒にいて、一軒家を作業場にして、夜な夜なフィールドレコーディングして田んぼにカエルの鳴き声とかを一緒に録りに行きました。僕はニューウェーブを聴いているようなロック少年だったこともあって、あまりイーノの音楽は聴いていなかったんです。それで、ざっくりと環境音楽と電子音楽の中間の音楽をやる人という風に捉えてました。

そのフィールドレコーディングをした楽曲はイーノが滞在中に完成したんですか?

しましたね。その時の能の舞台でも演奏しました。フィールドレコーディングにもいろいろなやり方がありますが、イーノは写真みたいに綺麗に録るというよりは完全に素材録り。料理をするための水を山に汲みに行っている感じというか。漫然と音を録るというよりかは、丸ごとエントロピーがあるものを録っていて、「磁場ごと全部切り取りたいんだな」と感じました。

とても貴重なお話ですね。ZAKさんは今まさに「AMBIENT KYOTO」の準備の渦中にいらっしゃいますが、どんなことを考えてらっしゃいますか?

今回の「AMBIENT KYOTO」はおそらく最大公約数的にアンビエントだと感じられるようなものになるんじゃないでしょうか。いい/悪いとは別の話で、広範囲なアンビエント。準備の期間中、アンビエントに関するメモをたくさん取っているんですが(メモを取り出す)、“アンビエントは逆説的な構造”と書いてありますね。アンビエントそのものが逆説的な構造なんじゃないかと。掴みようがない間みたいなものが異様なカオス状態のところで若干安定していて、それがやたら心地よい。僕はそういうものをアンビエントと捉えています。

「静けさプラスα」というよりも、いろいろな音が鳴ってる状況下で不安定なバランスで均衡が取れている状態みたいなことでしょうか。

そうですね。竜巻の中心とか滝の中とかお母さんのお腹の中みたいな感じですかね。険しいノイズが異様にある状態の中で、そういうスポットが生まれている場所のことをアンビエントと言うのかもしれない。

ノイズはアンビエントの対極ではないということでしょうか。

対極ではないと思います。むしろノイズにはアンビエントを感じます。そのノイズっていうのは、無意識に出てるノイズとはまた違うものではありますが。

例えば、滝の音なんて綺麗なノイズですよね。

そうですね。基本的に自然物から出ている音で大きすぎる音以外はうるささは感じないと思うんです。例えば、海や川が近い時に水が流れる音にうるささを感じることはあるかもしれないけれど、音量を除けば危険信号は出ない。一方、人工物はある種加工されているところがあるので、そこから出る音を浴びるとうるささを感じる。

お話を伺っていて、ZAKさんが「AMBIENT KYOTO」の参加アーティストと共に頭の片隅で「アンビエントって何だろう?」と思いながら、何かしら明かりが見える方向に歩いて行っているようなイメージが浮かんできました。

参加アーティストごとに少しずつイメージは違うかもしれないですが、それぞれがぼんやりと思うアンビエント観みたいなものが提示されると思うんです。それを見て「アンビエントってこういうものなのか」と思わなくても良いんです。何か新しい感覚が生まれたら面白い。今回は参加アーティストが複数いて、展示場所も複数あります。坂本龍一さんと高谷史郎さんの作品が展示されるのは、京都新聞ビルの地下1階。かつて印刷工場があったんですが、わりとインダストリアルな雰囲気がある場所なので、“場”の音というか、そこにいるだけなのに場がミトコンドリアのように動いているような映像作品になればいいなと思っています。複数の曲が流れるので、曲ごとに感じ方が変わっていく。やはり各々が“場を作る”アプローチになっていくでしょうね。

前回の「AMBIENT KYOTO」の会場である京都中央信用金庫旧厚生センターは今回の会場のひとつですが、元々金融機関だった場所とは思えないぐらい「お金の匂い」がしない場所だと感じました。時間と共にそういう匂いは沈殿していって、建築の表情が残るんだなと。

アンビエントって中身の記憶みたいなもので構成されているのかもしれないですね。今浮かんだ例えは──しょうもないんですが、実家に帰った時に画面は付いているんだけど、ほとんど音が鳴っていないテレビを遠くから見ている感覚。あれってテレビが付いていないと落ち着かないから付けているようなところもありますよね。アンビエントにもそういうところがあるんじゃないでしょうか。完全なゼロデシベルだと不安になる。完全な無音は、60億年ぐらい一人きりでいなければいけない感覚かもしれない。

確かに本当の無音状態には恐怖を感じると思います。

僕のアンビエントに関するメモには“空間と記憶、角度”、“背景の中に溶け込んだ影(質感)”とも書いてあるんですが、画面の付いたテレビという存在として認識はしているんだけれど、背景のひとつになっている。存在している物自体が特殊な質感を持っていることによって、すごく平坦なところに影みたいなものや凹凸ができている状態。音楽って“流れる”と言いますよね。“流れる”という表現を使うということは時間と関係があるのかなとも考えました。あと、“間(ま)や“あわい”、“個体のない”とメモには書かれています。

“あわい”や“間”というのは音楽を受け取るために、すごく重要な感覚ですよね。それは音楽にかぎらず、言語表現でも映像表現でも言えることだと思います。

最近科学的に、人間が“間”みたいなものを音として捉えているということが解明されているみたいですね。無音を音として認識している。音楽って音量によって聴こえ方が大きく変わってきますよね。言葉の聴こえ方も違う。そういうエネルギー値みたいなものはいろんなことにおいてすごく重要だと思います。よく「音楽をヘッドフォンで聴いてみたら再発見した」みたいなことを言いますが、その時々の適正な音量があるからいろいろな感覚が生まれる。人と一緒にいて、ノイズ混じりの中で聴こえる小さな音量の音楽だけど、すごくよく聴こえる場合もありますし。

音楽を聴く時のボリュームの調整というのはとてもクリエイティブな行為ですよね。単に上げればいいというわけではなく、無限に細かく調整ができる、演奏のような行為だと思います。

ちょうど今「AMBIENT KYOTO」の音楽の再生レベルをどうしようか考えているところなんです。その瞬間でないと最適解は出ないので、本当は開催して様子を見ながら決めたいところではあるんですが。音量の設定がバランスで、その後の微調整は質感の話になってきます。

「AMBIENT KYOTO」というプロジェクト自体は去年ブライアン・イーノにフォーカスを当てた内容で始まって、今回が2回目。何がしかの出発点になればいいなと僕は思っているんです。アンビエントというものを広い視点を持って捉えてほしい。今回は朗読で小説家の朝吹真理子さんに参加してもらいますが、言葉に対してアンビエントのイメージを持つ人は多くはないかもしれない。でも、言葉は発したら音そのもので、音楽と同列です。柔らかい視点で、アンビエントというものを感じてもらえる展覧会になればいいなと思っています。

「AMBIENT KYOTO」を体験した後、世界の聴こえ方が少し変わると良いですよね。

そうですね。それで、「何かを作りたい」っていう人や「このプロジェクトに関わりたい」という人が増えると良いですよね。何かのジャンルに特化するとどうしても直線的な動きになっていきますが、そこをせめて直径を広げるとか、斜めから入るとか、動きを変えることができた方が面白い。そんなことを考えながら、準備をしています。運営側も長期的なプロジェクトとして考えていますし、回を追うごとにバージョンが上がっていってほしいですね。

バージョンアップのためにいろんなトライアルもできますしね。

そうですね。バージョン1から2、3という風に単純にステップアップするのではなく、バージョン3から派生した何かが生まれていくようなことになれば理想的ですね。

ZAK
(ザック)

PA/レコーディング・エンジニア、プロデューサー。FISHMANSの仕事で注目を集める。
UA、BUFFALO DAUGHTER、BOREDOMS、坂本龍一、フリクション、原田郁子、相対性理論、やくしまるえつこ、青葉市子、三宅純など、多くのアーティストのレコーディングやライブ、現代美術の村上隆との共作、演劇、展示作品、公共施設など様々な音響も手掛けている。

聞き手=矢野優(「新潮」編集長)
文=小松香里